多様なキャリアを築き上げた熟練のポイントガード
ディアンテ・ギャレットは、その12年に及ぶプロキャリアにおいて、NBA、Dリーグ、そしてヨーロッパやアジアの数々のリーグで活躍した熟練のバスケットボール選手である。
卓越したボールハンドリングとプレイメイキングの能力を持ち、コート内外でリーダーシップを発揮してきた彼は、2024年12月に現役引退を発表し、現在は母校であるアイオワ州立大学のバスケットボール部でアシスタントコーチに就任。
今回は、彼の生い立ちからプロキャリアの終焉、そして新たな指導者としての道に至るまでの軌跡を辿ります。日本のBリーグでの鮮烈な活躍を含め、彼の多様で豊かなキャリアを振り返り、その功績をこの記事と共に称えたい。
ディアンテ・ギャレット
ディアンテ・ギャレットの大学時代は、常にチームの司令塔として活躍し、得点とアシストの両面で安定した成績を残していた。特に最終学年では、チームのリーダーとして攻守両面で中心的な役割を担い、ボールを持つ時間も長く、自ら試合をコントロールする存在だった。
一方で、NBAでは主にバックアップガードとして起用されることが多く、限られた出場時間の中で即効性のあるインパクトが求められた。得点機会やボール保持時間は限られ、大学時代のようにゲームメイクの主導権を握る場面は少なかった。そのため、大学時代のようなスタッツを残すことは難しかったが、プレッシャーの高い環境でディフェンスやミスの少ないプレイが重視されるNBAの特性に適応する努力を続けた。卓越したボールハンドリングとプレイメイキングの能力を持ち、コート内外でリーダーシップを発揮してきた彼は、2024年12月に現役引退を発表し、現在は母校であるアイオワ州立大学のバスケットボール部でアシスタントコーチに就任。
今回は、彼の生い立ちからプロキャリアの終焉、そして新たな指導者としての道に至るまでの軌跡を辿ります。日本のBリーグでの鮮烈な活躍を含め、彼の多様で豊かなキャリアを振り返り、その功績をこの記事と共に称えたい。
ディアンテ・ギャレット
Diante Garrett
2014年オフにはトロント・ラプターズ、ポートランド・トレイルブレイザーズとの契約を経るが、いずれも開幕ロスターには残れず。Dリーグ(当時)のアイオワ・エナジーでは再びスターターとして高いパフォーマンスを披露し、Dリーグオールスターに選出。その後、グランドラピッズ・ドライブへトレードされるなど、NBA復帰を目指して奮闘した。■プロフィール
出身 :アメリカ
生年月日 :1988年11月3日
身長 :196 cm
体重 :85 kg
出身校 :アイオワ州立大学
ポジション :PG / SG
NBAドラフト:2011年 指名無し
■経歴
2011 :KKザグレブ(クロアチア)
2011-12:JSFナンテール(フランス)
2012-13:フェニックス・サンズ(アメリカ)
2013 :ベイカーズフィールド・ジャム(アメリカ)
2013-14:ユタ・ジャズ(アメリカ)
2014-15:アイオワ・エナジー(アメリカ)
2015 :グランドラピッズ・ドライブ(アメリカ)
2015-16:マッカビ・アシュドッドB.C(イスラエル)
2016-17:アルバルク東京(日本)
2017-18:オクシリアム・パラカネストロ・トリノ(イタリア)
2018-19:トファシュ(トルコ)
生い立ちと高校時代
1988年11月3日にバスケットボールの盛んなウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれました。彼の人生においてバスケットボールは常に身近な存在であった。
彼の父親であるディック・ギャレットは、ロサンゼルス・レイカーズ、バッファロー・ブレーブス、ニューヨーク・ニックス、ミルウォーキー・バックスで5シーズンにわたりプレイし、1試合平均10.3得点を記録したNBA選手だった。父親のプロとしての経験は、幼いディアンテがバスケットボールに興味を持つ大きなきっかけとなる。
プロキャリアの幕開けとNBAでの経験
2011年夏、クロアチアのKKザグレブと1年契約を結ぶ。しかし、同年11月7日にチームを離れた。ザグレブではユーロリーグで3試合に出場し、平均3.7得点、1.3リバウンド、2.0アシストを記録。短期間ながら欧州最高峰の舞台でプレーした経験は、後のキャリアにとって貴重なものとなった。翌日、フランスのJSFナンテールと契約し、LNB Pro Aで25試合に出場。平均7.4得点、2.6リバウンド、3.0アシストを記録し、安定した成績を残した。
2012年にはフェニックス・サンズと契約し悲願のNBAデビューを果たす。2012-13シーズンは19試合に出場し、平均2.1得点、0.8リバウンド、1.6アシストを記録。サンズの傘下チームでは平均17.3得点、3.0リバウンド、7.3アシストと圧倒的なパフォーマンスを披露し、NBAレベルでのポテンシャルを示した。翌シーズンはユタ・ジャズへ移籍。2013-14シーズンは71試合に出場し、平均3.5得点、1.4リバウンド、1.7アシストを記録。トレイ・バークの控えとしてプレーし、NBAローテーション選手としての経験を積んだ。
2020-21:プロミテアス・パトラ(ギリシャ)
2021 :ギーセン・46ers(ドイツ)
2021 :ヒガンデス・デ・カロリーナ(プエルトリコ)
2021-22:イロニ・ネス・ジオナ(イスラエル)
2022-23:イロニ・キリヤット・アタ(イスラエル)
2024 :BCヨナヴァ(リトアニア)
生い立ちと高校時代
1988年11月3日にバスケットボールの盛んなウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれました。彼の人生においてバスケットボールは常に身近な存在であった。
彼の父親であるディック・ギャレットは、ロサンゼルス・レイカーズ、バッファロー・ブレーブス、ニューヨーク・ニックス、ミルウォーキー・バックスで5シーズンにわたりプレイし、1試合平均10.3得点を記録したNBA選手だった。父親のプロとしての経験は、幼いディアンテがバスケットボールに興味を持つ大きなきっかけとなる。
プロスポーツ選手の息子として育つ中で、彼は自然と競技に触れる機会が多く、プロの道を志す上で大きな影響を受けたことは想像に難くない。父親の経験やアドバイスは、彼の成長の過程で貴重な指針となった。
さらに、ディアンテの兄であるデイモンも、ウィスコンシン大学ホワイトウォーター校でバスケットボールをプレーしおり、兄弟揃ってバスケットボールに打ち込んでいたことは、ギャレット家におけるバスケットボールの重要性を示唆している。互いに刺激し合い、切磋琢磨する環境が、ディアンテの競争心を育み、成長を促したと考えられる。兄の存在は、彼にとって最初のロールモデルとなり、バスケットボールへの情熱を共有する仲間でもあった。
高校時代、ディアンテはミルウォーキーのハロルド・S・ヴィンセント高校に入学。2006-07シーズンのシニアイヤーには、平均15.2得点、5.3アシストを記録する活躍を見せ、その才能の片鱗を早くから示していた。この活躍が認められ、彼はミルウォーキー・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選出され、さらにミルウォーキー・ジャーナル・センチネル紙のオールステート・ファーストチームにも選ばれた。地元の年間最優秀選手に選ばれることは、その地域で最も優れた選手の一人であることを意味し、彼の才能が早くから注目されていたことを物語っている。この高校時代の成功が、後の大学進学、そしてプロキャリアへと繋がる重要な足がかりとなった。
大学時代の輝き
1年目の2007-08シーズンは32試合に出場し、平均6.3得点、1.8リバウンド、2.8アシストを記録。2年目の2008-09シーズンには32試合すべてに先発出場し、平均9.8得点、3.3リバウンド、5.0アシストを記録。ビッグ12カンファレンスでアシスト数3位となり、チームの最優秀選手賞と最多アシスト賞を受賞。ワールドビジョン・クラシックオールトーナメントに選出され、NSCAオールアメリカンにも名を連ねた。
3年目の2009-10シーズンも32試合すべてに先発出場し、平均9.2得点、2.5リバウンド、5.1アシストを記録。ビッグ12カンファレンス3位、全米38位のアシスト数を誇り、グローバル・スポーツ・チャレンジのMVPを受賞。トーナメントでの活躍が評価され、全国レベルでもトップクラスのプレイメイカーであることを証明した。
最終学年となる2010-11シーズンは、キャリア最高の成績を残す。32試合に出場(31試合先発)し、平均17.3得点、3.7リバウンド、6.1アシスト(ビッグ12カンファレンス1位)、1.7スティールを記録。オールビッグ12セカンドチーム(コーチ選出とAP通信選出)に選ばれ、USBWAオールディストリクトVIにも選出。ビッグ12カンファレンスのアシスト王に輝き、1996-97シーズンのジェシー・ホロウェイ以来の快挙を達成した。
このシーズン、全国で平均17得点以上、6アシスト以上を記録した選手はギャレットを含めてわずか2人。ビッグ12カンファレンス史上9人目となる、アシストと得点でリーグ上位5位に入った選手となった。この飛躍の背景には、新ヘッドコーチのフレッド・ホイバーグの存在があった。ホイバーグはギャレットにボールを託す方針を示し、その才能を最大限に引き出した。ギャレット自身も、自らの力を発揮できる環境に手応えを感じていた。
大学キャリア全体を通じて90試合連続で先発出場し、学校史上4番目となる記録を樹立。4年間を通じて安定した活躍を見せ、チームの中心として貢献し続けた。
大学キャリア全体を通じて90試合連続で先発出場し、学校史上4番目となる記録を樹立。4年間を通じて安定した活躍を見せ、チームの中心として貢献し続けた。
大学のチームメイトには、3年目まではクレイグ・ブラッキンズ(日本の滋賀レイクスターズなどでプレー)がオフェンスの主軸を担っていた。ブラッキンズの存在は、ギャレットのプレースタイルや役割にも影響を与えていたと考えられる。彼の退団後、ギャレットはチームのリーダーとしてより大きな役割を果たし、そのプレイメイキング能力とリーダーシップがより一層際立つようになった。
プロキャリアの幕開けとNBAでの経験
2011年夏、クロアチアのKKザグレブと1年契約を結ぶ。しかし、同年11月7日にチームを離れた。ザグレブではユーロリーグで3試合に出場し、平均3.7得点、1.3リバウンド、2.0アシストを記録。短期間ながら欧州最高峰の舞台でプレーした経験は、後のキャリアにとって貴重なものとなった。翌日、フランスのJSFナンテールと契約し、LNB Pro Aで25試合に出場。平均7.4得点、2.6リバウンド、3.0アシストを記録し、安定した成績を残した。
大学とNBAでの違い
ディアンテ・ギャレットの大学時代は、常にチームの司令塔として活躍し、得点とアシストの両面で安定した成績を残していた。特に最終学年では、チームのリーダーとして攻守両面で中心的な役割を担い、ボールを持つ時間も長く、自ら試合をコントロールする存在だった。
海外キャリアの充実
2015年以降、ディアンテ・ギャレットは再び海外の舞台で活躍の場を広げる。
2015-16シーズン、ギャレットはイスラエルのマッカビ・アシュドッドと契約。32試合に先発出場し、平均19.0得点(リーグ3位)、6.2アシスト(リーグ2位)、1.4スティール、フリースロー成功率82.6%という素晴らしい成績を残し、得点とアシストでリーグ上位にランクインしており、中心選手としてチームを牽引した。
そして翌2016-17シーズンには日本のBリーグのアルバルク東京に所属し、全58試合に先発出場。平均18.1得点(リーグ6位)、3.9アシスト(リーグ5位)、4.7リバウンド、1.4スティールを記録するなど、攻守にわたる活躍でチームをベスト4に導いた。
外国籍選手としてファン投票1位でBリーグオールスターに選出され、試合とダンクコンテストでも観客を魅了した。
その後、2017-18シーズンはイタリアのオクシリアム・トリノに移籍し、国内リーグとユーロカップの両方で主力として活躍。イタリアカップ優勝にも貢献した。2018-19シーズンはオクシリアム・トリノが財政難によりチームが解散したことで、トルコバスケットボールスーパーリーグ(BSL)のトファシュへ移籍。ユーロカップでは平均18.4得点、3ポイント成功率43.5%と高水準の成績を残した。しかし、左足アキレス腱の怪我により手術を受けシーズン絶望となってしまった。
大怪我からリハビリを経て復帰した2020-21シーズンは、ギリシャのプロミテアス・パトラスでプレーし、ギリシャスーパーカップでの優勝を経験。翌2021年はドイツ・ギーセン46ersで平均14.5得点を挙げ、続いてプエルトリコのヒガンテスにも短期間在籍した。
2021-22シーズンはイスラエル・ネスジオナで29試合に出場し、平均15.6得点、4.8アシストとチームの主軸として奮闘。2022-23シーズンは同じくイスラエルのキルヤット・アタに所属し、27試合で平均12.2得点、5.7アシスト、5.3リバウンドとオールラウンドな働きを見せた。
ディアンテ・ギャレットは2024年、リトアニアのCBヨナヴァでのプレーをもって、プロバスケットボール選手としてのキャリアに終止符を打った。
引退後、ギャレットはコーチングの道へ進み、母校であるアイオワ州立大学のバスケットボール部でアシスタントコーチに就任。2024-25シーズンは、全体で25勝10敗、Big 12カンファレンスでは13勝7敗の成績を収め、カンファレンス内で5位となり、最終的なAPランキングでは17位にランクインした。NCAAトーナメントでは、サウスリージョンの第2ラウンドでオレミス大学と対戦し、91対78で敗れ、トーナメントから姿を消した。
アイオワ州立大学での輝かしい大学生活、NBAとDリーグでの試行錯誤、そして10カ国以上にわたる海外クラブでの実績は、彼の柔軟性とプロフェッショナリズムを物語っている。
自身の豊富な国際経験とプレーヤー視点を活かしながら、次世代の選手たちの育成に注力している。
特に若手ガードの育成に定評があり、ゲームメイクやメンタル面での指導にも力を入れている。選手として世界を渡り歩いた視点をもとに、グローバルな視野でバスケットボールに貢献し続けている。彼の今後のコーチングにも注目していきたい。
アイオワ州立大学での輝かしい大学生活、NBAとDリーグでの試行錯誤、そして10カ国以上にわたる海外クラブでの実績は、彼の柔軟性とプロフェッショナリズムを物語っている。
自身の豊富な国際経験とプレーヤー視点を活かしながら、次世代の選手たちの育成に注力している。
特に若手ガードの育成に定評があり、ゲームメイクやメンタル面での指導にも力を入れている。選手として世界を渡り歩いた視点をもとに、グローバルな視野でバスケットボールに貢献し続けている。彼の今後のコーチングにも注目していきたい。
2020年3月7日に当時の彼の近況についてまとめた記事も併せてご覧ください。
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